心が汚い、心がきれいという言葉がありますが、正確な表現では実はありません。
というのも心が汚れているというときには、実際には別の器官の汚れを指していることが多く、心の問題ではないからです。
今回は心をきれいにする方法について紹介したいと思います。
心が汚いというように思うときには
・言葉が汚い
・思考の内容が汚い
・想念も汚い
・ネガティブな感情によく支配される
というような特徴があります。
これらは心の問題ではなく、実際には思考の問題なんですね。
人間の精神的な構造として
・対象を把握する
・対象を過去の記憶と照らし合わせて主観を形成する
・その主観が自我に届く
・自我は主観を帯びた思考をする
・その思考に応じた感情が発生する
というようになるので、初動は
・過去の記憶
・思考の種類
となります。
中でも最大の原因は思考といえるでしょう。
思考などは脳内にあり、心は胸にあるので別々の器官で、ただ連動しているのでその区分がごちゃごちゃになって今回のように心が汚いとなりがちというわけですね。
やるべきは思考をきれいにする方法ということになります。
心が汚いと思う人によくあるのは自己肯定感が低いということですね。
要するに自分が嫌いということですが、同時に自分の環境や世界も汚れたものであったり、悪いものもあるというような認識であることが多いのではないかと思います。
世界への認識は、ある意味で自己認識とも一致するものです。
生きるのも楽ではないというような認識もあったりして、基本的に人生が楽しいと思えないという人も多いのではないかと思います。
これだけ連動していると最悪と思うかもしれませんが、逆にいえば自己肯定感を上げるとすべてがポジティブに変わる可能性もあるということでもあります。
私も昔はよく人の欠点を指摘し、その分析などをする癖もありました。
当然悪い感情を持たれることもあったわけですが、今はあまりこの傾向はなくなりました。
年を取ってある程度、人のことを気にしなくなったというのもあるのかもしれません。
あとは自分よりもずっと優れた人がいることをよく知ったこと、そして自分のできていないことを知ったというのも大きいですね。
・瞑想で注意集中ができていない自分を何度も経験している
・瞑想で自分の本質とは宇宙であり生かされていることを知る
・すべての物質、人間は無常ではかないものだと知る
など自分の弱点などを知ることで、人の欠点を指摘するところも減ってきました。
今回の心をきれいにしたいという人も、瞑想をしていくと自分の本質や、そしてなぜ汚い言葉が出るのかも観察できることができるでしょう。
心が汚いというときに、怒り、不安、心配、恐れなどがあるからというように思っている人もいるかもしれませんね。
ただこれらも完全にはなくせませんし、またなくしてはいけないものなんですね。
聖者でも聖なる怒りというのを発するときもありますし、たとえば明らかに自然の法則が明示されていてもそれを無視するというようなときには聖なる怒りが必要などとされます。
そのため制御された、ある程度の怒りなどは必要というわけです。
ただこれらが過度で、バランスを欠いたものだけは有害というだけです。
精神内部についていきなり完全にきれいにするのは大変かもしれません。
この場合、練習も兼ねてまず外で話す言葉だけでもきれいなものだけにするようにしましょう。
これでもかなりのストレスを感じるかもしれませんが、言葉の影響はかなり大きいので、良いきっかけにはなるかもしれません。
欲望もあり、煩悩もあるのが人間です。
善行を積むといっても、最初は形から入るのも問題ないと思います。
心をどうこうしようと心から入ると非常に難しいんですね。
気功なども体操をして、姿勢を正したりすることで心を操作しようとする思想です。
私も同感で、本当に心と体とは連動しているんだなとよく思います。
気功やヨガで肉体を整えるのはベストですが、他に徳を積むのも1つです。
この教材で徳を積むことについてまとめていますが、同時に運も良くなります。
また気功ということであれば
・自身のオーラ、思考形態、感情領域、チャクラの浄化
・脳クリーニングで浄化するべきと上げた箇所のさらなる浄化
の2つのエネルギーは今回のケースだとおすすめできると思います。
自分の過去をきれいにし、同時に未来を浄化できればより心がきれいになるのをスムーズに実現していけるでしょう。
エネルギーは
こちらでお渡ししています。