仏陀の言葉、今回は中道についてお話ししたいと思います。
中道というのは真ん中の道というような意味ですが、こと精神的なことにおける中道とはどのような意味になるでしょうか?
今回の中道というのも楽しく、そして正しく生きるという意味では非常に重要といって良い概念ですね。
真理の体現者のさとった中道とは・・・それはじつに「聖なる八支よりなる道」である。
すなわち、正しい見解、正しい思惟、正しいことば、正しい行ない、正しい生活、正しい努力、正しい念い(おもい)、正しい瞑想である。・・・
(サンユッタ・二カーヤ)
中道というのは要するにバランスの取れたという意味だと思います。
それを仏教では八正道といいます。
・正しい見解
・正しい思惟
・正しいことば
・正しい行ない
・正しい生活
・正しい努力
・正しい念い(おもい)
・正しい瞑想
以前にもカルマの法則という動画で身口意ということについて述べましたが、行い、言葉、思いというのも含まれているようにそれらを正しくすることというのが中道というようにざっくりと解釈しても良いかと思います。
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さて問題はどういう性質のものが正しいかということなのですね。
残念ながら現代では正しいの意味が浸透しきっていないと10年ほど前から思っていました。
正しいと決めるのは人間ではないんですね。
創造と呼ばれる宇宙、自然が正しいを決めている、もしくは創造の出現前から正しいということを決める法則はあったと聞いてもいます。
それは創造も人間も変更することはできず、宇宙の最初から最後まで法則として存在するのでしょう。
正しいかどうかの基準というのはいくつかあるわけですが、
・自然の法則と合致していること
・永久に変更を必要としないこと
・宇宙の隅から隅まで通用することであること
・そして痛みを伴わないこと
私も当然すべてを知るわけではないのですが、このようなところはあると考えています。
すべての場所、すべての時間に通用するものだけが真実であり、力、論理、ロゴスというわけですね。
痛みを伴わないことについてかなり誤解されているのですが、たとえば自分の肉体を自分だと考えている人がいたとしましょう。
肉体というのは時間とともに老化していきますし、もっといえばこのページを見始めたあなたでさえももう存在しないわけです。
人間の細胞は2日ですっかりとすべて変わるという説も科学にあるようで、このページを見始めたときの細胞レベルまで一致した生命体は宇宙のどこにももう存在しないのです。
それだけ宇宙の変化、あるいは時間の流れというのはシステム的であり、完璧なシステムなんですね。
さて肉体はやがて老化、そして死を迎えます。
そのときに若い肉体を自分と考えると絶対に失望や絶望を感じるときがくるんですね。
そして死で肉体を手放す(もっといえば最初から手放すことはプログラムに含まれていたはず)ときにも悲しみを感じるようになります。
これは変化しかないものを自分と間違えてずっと考えていたからです。
しかし脳で考えると絶対に手放すときがくるものを自分のものと考え、そして手放すときに悲しむのは非常にどうかしている考えですし、人間はそんなことはみな理解できるはずなんですね。
これは財産、恋人、家、不動産、地位、権力、仕事、家庭、資格などすべてに該当する話です。
この宇宙には自分のものなど1つもないというわけです。
またもう1つケースを考えてみましょう。
自分の好きなことをしようという人は多いですし、私も嫌いな考えではありません。
しかし
・好きなことをして失敗して失望した
・好きなことをできなかった
好きなことに固執して、やはりその考えを自分のものだと考えるとやはりエラーが起きたときには何かのネガティブを抱くでしょう。
この最たる原因というのは好きなことに対しての考えが間違えていたからなんですね。
これはポジティブ思考のエラーあるいは抜けでもあると見ています。
単純にポジティブ思考をするのでなく、おそらく中性的なポジティブ思考をしないといけないということだと考えています。
宇宙ではすべてが変化しかありません。
これを無常といいますが、無常を意識内で体験したときには、恋人、家族、愛する人に対してどう思うべきかは次第にわかってくるのでしょう。
おそらく正解というのは
・愛情は間違いでありその正体は所有欲である
・正しい愛というのは別れのプログラムがあることを知りつつこの瞬間をその存在との時間にゆっくりと注意集中を置くこと
だろうと私は思います。
ただしこれが難しく、私も何度も間違えますね。
瞑想をしていてよく感じるのですが、おそらく創造、そして自然というのはバランスだろうと思うのです。
たとえば呼吸というのは常に
・吸い込む
・吐く
という2つの動作を繰り返します。
両方の回数は絶対に同じになるように設定されていて、えこひいきもありません。
そしてそれを観察していくと、ある意味頑固にそのプラスとマイナスの動作を繰り返す純粋な意識であることを強く感じ、そしてバランスを取ろうとしているのだろうとも思います。
たとえば台風というのは南の海上で蓄積した熱、あるいは水蒸気を北に送り、南北でのそれらの量をバランスを取るように、自然というのは基本的にバランサーなのだろうと思います。
これも1つの中道であり、人間のやるべきは自分の精神的なこと、行い、言葉をバランスの取れたものにしなければいけないということだと考えていて、同時にそれによって開運も本当にできるということだと思います。