生きる意味がわからないというのは私も昔持った感覚です。
しかしある意味で生きる意味を探すというのは現在の状態が不幸であることの裏返しでもあります。
もし幸福であれば生きる意味を探すということもそう行うものでもありません。
今回は私が幼少期からといっても良い時期から生きる意味を求めてきた結果についてお話ししたいと思います。
私の場合、青年期に大きな人生の挫折にあいました。
それまで20年以上もかけて設定してきた人生の目標を一瞬で失うような感じでしたので、そのときは生きる意味をすっかりとなくしてしまいました。
今から思うとどうでも良いことですが、当時は本当にヤバイ状態でしたね。
そんなときにある本と偶然出会ったんですね。
この世の役割は人間塾(船井幸雄先生)
当時気力も失っていた自分ですが、夢中で貪るようにして読んだ記憶があります。
何か読むほどに心の中の霧やモヤのようなものが急速に晴れていくような気がしました。
端的に救われた感じを今でも強くもっています。
この本と出会ったのも偶然で知り合いが急に船井先生の本を自宅にもってきてくれたんですね。
最初はそんな本に答えなどあるかと思ったんですが、何となく見ていくとすごいことが書かれていました。
ミスしても良いとか、生きる意味とか書かれていたような気がするんですが、学校でも社会でもそんなこと誰も教えてくれませんよね。
人間や宇宙の取説のような気がしました。
なんで人間として生きているのに人間の取説がないんだろうと今もよく思いますね。
そんな中で船井先生の本を読んでいて、また別の先生の本を読むことにしました。
何冊目くらいだったでしょうか、そのときにビリーマイヤーという文字に出会うんですね。
このときにちょっと不思議な体験をしたんですね。
机でウトウト寝ていたようなのですが、その本に何度も「創造」という言葉があることがわかりました。
何か気持ちの悪い本だなと感じて、そこで起きたんですね。
なぜかすごく気になってすぐにビリーマイヤーさんの本を購入しました。
するとビリーマイヤーさんの本がそのときに夢で読んでいた本だったことがわかりました。
やはりビリーマイヤーさんの本も何冊も夢中で読みました。
なぜか人生で私の求めるものがすべてこの方の本にあるような気もしていました。
そしてビリーマイヤーさんの推奨する瞑想をしていき、やがて生きる意味をようやくわかる日がきたんですね。
瞑想をしていないときには意識は当然通常の状態です。
しかし想念を止め、呼吸が鼻とこすれる音や箇所にだけ注意集中していくんですね。
すると一切の主観がなくなり、あるのは感覚だけ、つまり完全な真実の領域です。
さらに注意集中をしていきます。
もはやそこで感じるのは完全な真実です。
・呼吸、そしてその奥にある私の生命は完全な自然である
・そのただ続けられる生命の営みは生きることを目的にしている
・その生命は完全な機械のような無意識である
・その生命とは時間が進むように正確に無意識のように機能する
・その生命とは何も思わずにどの時間もただ進む時間と一致するかのように集中する
・その生命は常時異様な幸福感に満たされていて進化するほど人は幸せになる
・進化とは注意集中力を伸ばすことでもある
・同時に進化とは想念を無視して別のことに集中することでもある
・そうして苦悩を解消できる
このように来る日も来る日も瞑想していくと次第に人間というものが少しずつわかってくるんですね。
生きる意味とは生きること自体が目的であること、そしてただ生きようとするその生命は時間の流れとも一致し、その中で体験をしてさまざまな印象を集め、やがて知識や英知を集め、強い人間になることがすべての人間の目的であるということがだんだんとわかってきました。
宇宙は1つですので、個別の使命などは基本的になく、ただあるのは宇宙としての存在理由、そして存在する目的でした。
そして注意集中力というのはただ進む時間をも表し、ひたすら生命というのは進化を目的にしているということもほのかに理解しました。
仏陀は私は知っているといったかどうかはわかりませんが、このような内的体験により確認したことを私は知っていると我々は表現しています。
完全な真実は永久不変であり、その不変の法則を知り、人は次第に強くなるのだろうと思います。
人生は浮き沈みがあるので、そのたびにいろいろと考えて、自分を考えでなえさせるのは意味がありません。
そうではなく、すべての変わりゆく現象を無視して、内部をコルクのように浮かせるのでなく安定させることが大事なんですね。
そういったことをできるようになるために人は生きているのだと思います。
生きるのに苦しみしかなかった私にとってさらに嬉しかったのは、進化とは最終的に幸せになっていくということだったことですね。
集中力が上がると究極的に人は生命になっていくわけですが、そこではもはや苦悩は存在できる領域ではないので、進化するほどに人は幸せになっていくということです。
生きる意味、あえてもう1ついえば幸せになるためだろうというのが私の感覚なんですね。