今日は仏陀の言葉「生老病死」について説明したいと思います。
小学校の3年生のときあたりに仏陀の伝記を見て、そのときに仏陀がまだ釈迦といった時代に生老病死を見て苦悩したと知りました。
そこで出家して、悟りを開いたとされます。
では仏陀は生老病死をどう克服したのでしょうか?
時間を作ったという人間はいません。
それは宇宙中探しても同じです。
自然の法則によってタキオンがかかわり時間は進むとされています。
生老病死というのはすべて時間のなせる結果であり、それに対して抵抗することは有害となります。
というのも
・生きるのが苦しいと思っても避けられない
・老化が嫌といっても老化は進み老けた自分に幻滅する
・死で獲得したものを手放すのは嫌だと思っても必ず手放すときがくる
というように宇宙のスタート時から物質的なものは何も獲得できず、手放すようにプログラムされているからです。
ですので何かを所有しようということ自体が苦といえるかと思います。
仏陀の悟りというのはこの話とすごく関係していると考えています。
瞑想をしていくと呼吸にゆっくりと意識を置き、呼吸を自然のリズムに任せ、そして意識の力みをすべて捨て、やがて自然と一体化します。
そうして時間の流れをゆっくりと感じつつ、時間とは何かを直観します。
そのときに感じるのはやはり幸せなんですね。
・空気が入るのも幸せ
・空気が出るのも幸せ
特に空気が出るときにはすべてを放つという感覚が強いので、より一層幸せが感じられます。
生老病死とは時間の流れによるといいましたが、おそらく宇宙で無常であり、時間とともに変化するというのは本当は幸せを体現しているのだと感じています。
意識のこだわりを捨て、リラックスするのは幸せへの道ということですね。
もし苦を感じるというときには
・時間が進み変化することに抵抗している
・もしくは力んでいる
ということだと考えています。
以前も少しお話ししたかもしれませんが、真実において川というのは非常に重要なものなんですね。
私もビリーマイヤーさんのドイツ語コードを受けてそれを理解しました。
川というのはどうも時間の流れと密接な関係があるように感じています。
さて川というのは
・今日は流れるのが嫌と休まない
・雨が多いと川は早く流れるがやはりゆっくりしたいといわない
・前の水が遅いので早く流れられないと不平も言わない
というように要するに何から何まで自然なんですね。
川はすべてを教えてくれて、人間の理想的な模範なのだろうと思います。
きっと生老病死に対しても川のように考えなさいというのは宇宙の本質的な思想の中にあるのではないかと思います。
さてここからは私のまったくの仮説だと認識した上でお聞きください。
そもそも時間はどのようにして常時流れるのでしょうか?
創造というエネルギーがいて、それが常時流れるように設定している、たしかにそうかもしれません。
しかし私はその仕組みにあるときに興味を持ちました。
あるとき小川を見ていたのですが、そのときにひらめいたことがありました。
小川というのは高い位置から低い位置に自動的に流れます。
これは物理でいう位置エネルギーを利用しているわけです。
時間もこれと同じような法則を利用し、何もしなくても流れるように設定されているのではないかと思うのです。
もし私が創造であれば常時注意して流すというのもあるかもしれませんが、できるだけ労力を省いて流すはずなのです。
そのため時間の最初を高い位置にして、宇宙の最後の時間を低くして位置エネルギーのようなもので自然に一定の速度で流れるようにしているのではないかと思うのです。
それが物理の位置エネルギーでなく、時間における位置エネルギーのような高低のようなものを利用しているのではないかと考えています。