禅、仏教などではとらわれない心を重視すると私は考えています。
煩悩などという言葉もありますが、とらわれないというのは実に奥深く、そして実に大きなメリットが人間にはあるということだと思います。
人間というのは瞑想で観察していくとまずほとんどの瞬間に自分の考えに「なって」いるんですね。
宇宙の法則においては
・対象を把握する
・対象に注意集中する
・対象と一体化する
というのは非常に重要な流れだといえます。
ここは私の仮説ですが、たとえば人間が今この瞬間に存在するのは何かの注意集中が我々と一体化することに原因があると考えています。
一体化とは自分のエネルギーを対象に渡してしまう、あるいは受け取るということなのかもしれませんね。
たとえば夢中で頑張る人を見ると勇気をもらえるように、また頑張る人を応援するとその人の勇気になるように。
一体化というのは人間の内部に実にさまざまなものに向かいます。
・自分の考え、意見
・感情
・それ以外のもの
感情的になるという言葉がありますが、このときに意識は感情と心理的距離を取れずに、意識がその感情に染まった状態を指します。
意見を話すときも、通常はその意見に意識が染まっていて、その意見を人は内部でなかなか無視できません。
故に失言といった事象も発生するわけですね。
人生の苦しいときというのはその苦しいという自分の思い、感情に意識が染まっているということであり、その一体化を解消するということが苦悩解消となるわけです。
本当の開運はここからスタートするべきだと考えています。
とらわれない心というのは要するに自分の意見にとらわれないという意味です。
人間の内部の構造というものがあって
・対象をとらえる
・過去の記憶をその対象に擦り当てる
・その主観を自我に届ける
・自我は主観の元で思考する
・思考に応じた感情を発生させる
というものになります。
ここで苦悩が生じるフェーズは記憶の性質、そして主観の元で思考するのかどうかという2ヶ所となります。
ですのでまず記憶をきれいにすること、そして意識の観察能力を鍛えることで主観を主観であるとまずとらえ、そしてネガティブであればそれをスルーするということが必要となります。
ちなみに記憶をきれいにするのは以下のページで脳クリーニングというエネルギーで行えます。
主観に染まる瞬間に非常に短いですが間があって、その間に主観を観察する非常に素早く、正確に見抜く能力というのがあるんですね。
これによってネガティブ感情を発生させる確率を低くでき、いろいろなマイナスに陥らないということです。
・執着
・不安
・心配
・恐れ
・こだわり
・ネガティブ思考
など広範囲に対処していく、もしくは未然に発生を防ぐというようにしていけます。
とらわれない心ではとらわれないという形の練習をしなければいけません。
この形は最初練習中しか取れないことが多いのですが、次第に日常でも意識が向かったときにその形を取れるようになっていきます。
そして自分の意見などを無視して、客観的に事象をとらえていくことができるようになります。
とらわれない心を獲得するには要するに瞑想が必要となります。
禅でも良いですし、私の推奨する瞑想でも構いません。
大事なことは何も考えないで、対象を観察していくようなトレーニングが必要ということです。
瞑想を紹介した動画はこちらになります。
とらわれない心の獲得は他にももっとメリットがあります。
・本当の自分を理解できる
・幸せになれる
・対象を客観的にとらえ、正確に理解する能力がつく
・ミス、不注意を避けられる
・それぞれの人に応じた特殊能力を獲得できる
とらわれない心とは私は空だと考えています。
そしてとらわれない心とは人間の最大の武器であり、この獲得のために存在しはじめたのだろうとも考えています。