仏陀の言葉「執着と縁起」

仏陀の言葉「執着と縁起」

仏陀の言葉「執着と縁起」

仏教では特に執着を取り除くということを重視します。


執着というのはたいてい幻想に対してのこだわりを意味していて、やがて消滅する運命しかない幻に執着しているとそのときに確実に苦悩にとらわれるからということだといえます。


実は仏陀の悟りというのはこの執着を解消するという意味が核心とされていて、昔相当関心を持った項目なのですが、わかる範囲内でお話しをしていきたいと思います。


仏陀の言葉「執着」「縁起」


無明
生活作用
識別作用
名称と形態
感受機能
対象との接触
妄執
執着
生存
出生
苦悩


仏陀によると上の無明があることで次第に下のほうのものに続き、最終的に苦悩を持つというようなことを縁起といいます。


逆に無明がなくなると苦悩までの悪循環のようなものが解消されるので、苦悩解消となるというようにいいます。
これが仏陀の菩提樹の下の瞑想で悟ったこととされます。


無明とは何か?


無明のことを我々は霊的無知といいます。


要するに真実を知らないこと、知っていても再現できないことを意味します。


たとえば地位を得たとして、その地位がいずれ退職や定年で失うことを「知っていた」としても定年で失うときに寂しさなどを感じるということは知識を再現できず、精神的に理解していないので霊的無知というような感じです。


無明というのは何度も何度も生成と消滅の法則を経験し、それぞれに対して特に痛みを感じないで通過できるようになったときに無明をクリアしたとなります。


ただそのときには遥か先の時間、数百億年を要するとされていて、そのときには肉体を持たない存在になりつつあるでしょう。


対象との接触と苦悩の生成


人間というのは対象と接触するときに実はさまざまな器官を通してようやく接触、そして反応をしていくものです。
・外界の情報を耳など五感でキャッチする
・まず扁桃核でその情報の好きか嫌いか(ポジティブかネガティブか)の判断をする
・海馬にその情報が届き、過去の情報や記憶とすり合わせをする
・側坐核でふさわしい感情を生じさせる
・前頭連合野に届く
・そして何かの反応をする


というような手順を自動的に行います。


つまり前頭連合野といわれる自分が何かの反応をするときにはすでに過去の自分の主観による脚色がなされた状態でしかすぎません。


故に世界に客観的な意見というのは存在しないというわけです。


仏陀の悟りはこの機微を理解したというように私は考えています。


初動の段階で無明をまず解くというようになっていますので、真実の法則に沿った情報を元に脳などをアップデートします。


そして扁桃核などをきれいにした上で、外からの情報を正しいまま前頭連合野に届くように自己設定をしておく、これが悟りだということだとも思うのです。


正しい情報や真実を元に自己形成をしているので、たとえば地位をなくしてももともとそういうものだと理解しているので特に当然だとしかならないわけで、余計に地位に執着するといった現象やエラーも起きません。
これを悟ったというのだと思います。


逆に生きるのがしんどいと感じるのは扁桃核、海馬などの汚れが原因であり、たいていは過去の思考の誤りの累積で自分を苦しめているといえます。


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これらについてはこの教材できれいにしていこうということをお勧めいたします。


縁起と流れ


縁起というのはこのように無明から生じていく流れであり、最終的に苦悩というようにつながります。


縁起とはいわば流れともいえ、川ともいえるでしょう。


宇宙ではなぜか川というのは非常に重要なたとえにもなっていると思うのですが、ここでも川ですね。


ちなみに脳的にも五感から前頭連合野に至る流れを川のようにたとえることもできると思うんですね。


人生とは好循環の流れにもっていくことが大事だと思うのですが、流れをきれいにするということを意識していくと良さそうですね。


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