カルマというのは仏教では業といわれます。
サンスクリット語でいえば宿命というようなニュアンスもあるわけですが、カルマというのはそう恐れるものでもなく、むしろポジティブに人生を過ごしていく中で改善していくべきものだと考えています。
カルマというのは業に由来するとされています。
業というのは身口意に分類するという説もあります。
・身は行為、所作
・口は言動
・意は考えること
などと簡単にいうとこのようになるかと思います。
人間の毎日していることですね。
考えて口にする、考えて行動するということになりますが、当然カルマといいましょうか後から良くないなぁと思うことは出てくるものですね。
ちなみにこの身口意というのは空海さんの提唱する三密加持という願望実現とも深い関係があるのですが、いずれお話しするときもくるかもしれませんね。
人間というのは仏陀の言葉シリーズなどでもお話ししていますが、間違いを犯し、その痛みで間違いを正すために生きています。
その間違いの元、つまり意識のデータというのはその人間がずっと持ち続けるものであり、修正するまでずっと続きます。
つまり同じ間違いをずっとしていき、何度も何度も同じ痛みを味わうという意味ですね。
しかしイベントの内容は違うわけで、同じ間違いの根がそこにあることを理解するのは結構難しいんですね。
少し例でお話ししましょう。
たとえば神経質な人がいて、何か小さいことでも考えこむ性格の人がいたとしましょう。
・結婚したが、相手に疲れると言われて離婚となった
・仕事をしたが自分の担当する仕事を人に任せるのが嫌
・休日でも仕事のことが頭に浮かぶ
・会社の売上が下がりつつあり退職した
・病気になった
この5つは一見何の関係もないようですが、詳しく分析していくと根はすべて同じです。
神経質で細かい話をしすぎて離婚となりました。
自分しか信用できず警戒心が強すぎて人に任せられません。
休日も仕事が浮かぶのは考えすぎ、心配しすぎです。
売上が下がりつつあっても上がるかもしれません、やはり将来を心配しすぎです。
病気は考えすぎが原因でストレス過多ではないでしょうか?
はい、このように心配、不安、恐れ、そしてその根本には余計なことをいちいち考えすぎということですね。
頭の良い人に多い特徴で、該当する人も多いのではないでしょうか?
今回のカルマとは私はこれを指しています。
前回の人生までに考えすぎの傾向を修正できないで、そのまま今回も生きていてまた同じような人生になる、これがカルマなんですね。
この意識のデータはあなたが修正しようと決めるまでいつまでも続き、次回も、その次も、宇宙の最後のときまで修正する機会を持たされるというわけです。
人生のイベントはいろいろありますが
・浮気
・いじめ
・離婚
・破産
などですが、このようなものも厳密にいえばカルマと関係はあるでしょう。
しかしカルマのせいにするのでなく、カルマというのは自分の思考形態に他ならないわけで、カルマというよりもこの人生での思考形態によるエラーと考えます。
より重要なこととは、浮気、いじめ、離婚、破産を招いた原因は自分にもあるわけで(もちろん相手や環境の問題もあったでしょうけども)、そこを見抜き修正することだと思います。
そしてより重要なことはそのような不幸をあたかも何事もなかったかのようにスルーし、次に向かう本当の生きる力を得ることではないでしょうか?
スルー能力は瞑想で獲得できるとすでにお話ししました。
このように瞑想をすることで自分を助けることができるようになるというわけですね。
僧侶だけが瞑想をすれば良いというわけではないのです。
幸せを目指すには瞑想は必須ということになります。
このように現在生きている中でいろいろな苦悩があるわけですが、そのすべてといって良いほどにカルマの解消の残りというようにいっても良いわけですね。
カルマの解消方法についてですが、
・まず自分の苦悩の共通点を探って特定する
・そしてそれを直そうと決める
ということですね。
現代人はとかくいや、自分は悪くない、〇〇さんや会社が悪いんだと真実を見ようとしません。
それだといつまでも何も変わらないと思うのです。
そして宇宙最強といいましょうか、私が確認した「決めることで宇宙が成立した」という法則に従い、少なくても自分を救うためにその苦悩の共通点を直すことを決定するということは非常に大事なんですね。
かくゆう私もこの作業はいつもやっています。
ちなみにカルマ解消のエネルギーは音楽CDを使い行います。
カルマでは業と関係があるといいました。
では業と逆の意味となりえるのはといえばやはり徳といえると思います。
いいことをするという意味だと思うのですが、
・良いことを行うこと
・良いことを話すこと
・良いことを思うこと
ですね。
良いことを話す、思うというのはポジティブ思考のことといって良いです。
行為については人や動物、植物が喜ぶことをしていけば良いということです。
一日一善、一日に1つでも良いので良いことをすれば徳はたまっていきます。
徳というのは来世をターゲットにしているわけではありません。
現世利益があるといって良いです。
こちらの教材でその具体的な方法はすでに知っている人もいますね。
もっと軽い方法でも徳はためられますが、徳をためないと本当のあなたの潜在能力をすべて開花した開運というのはきません。
同時に徳を積めば積むほどに業も自然と消えていくものです。
最初は自分の徳をためるのだという利己心からでも構いません。
そしていつか自然に行動していくだけで徳のたまる人になっていければOKですね。