こんにちは。
こんばんは。
西炎です。
今回はゼロについての動画を作成しました。
数学でもゼロは学者の永遠のテーマなのかもしれません。
今回は2種類のゼロの概念についてお話ししたいと思います。
さてゼロについてですが、まず1つめのゼロは数学的なお話です。
ゼロは存在するのかどうかというのはよく議論されますし、私も興味があります。
まず前提として数学も創造から派生しているとすれば、創造からすればゼロは存在しません。
というのも太古創造は存在することを決定し、進化するために一定時間存在し続けることを決定したはずだからです。
故にゼロ、つまり存在しないという状態がないのでゼロという概念はここからないと思うんですね。
ビッグバンの前でさえも法則だけは存在していたというのが論理とのことで、やはりゼロではないように思います。
あえていえば物質だけは生成と消滅の法則が適用されるので、ゼロは物質界にだけ存在し、理念や情報レベルでは存在しないと考えられると思います。
次に2つめのゼロですが、結論からいいますと陰陽図のようなイメージです。
つまり陰と陽とが完全に同量ありバランスが取れた状態を指します。
たとえば今日嫌なことがあったとしましょう。
当然ネガティブな思いや感情からその記憶が残ります。
その場所、そのイベントを想起すれば当時の気持ちになります。
そのため一定程度人生の可能性を狭めますね。
その同質の行動をとりにくくなるからです。
それを地球では老化といったりします。
逆に良いことがあっても、地球では良いことだとしか解釈しませんが、その良いことで喜び過多になったり、同質の行動に固執する傾向があることでやはり人生の可能性を狭めます。
勉強嫌いで、勉強を試しにすると成績が上がり、勉強をできない人を軽蔑したり、自己評価を過大にしたりもありますね。
つまり善悪両方を祓う必要があるわけです。
神道の祓いの本質はここにあると考えています。
善悪両方の祓い、つまりそれはゼロ、生誕時の状態にリフレッシュするイメージです。
善悪両方がきれいになれば無限の可能性がその人に出てきます。
思えば宇宙もこの2つめのゼロの論理が働いています。
腹痛の時間があり、我慢していてその時間が終わることは人間的には良いことと解釈されます。
しかしその時間は確実に過ぎ去るので、その時間分の人生は消化されます。
つまり善悪というのは同量あるように設計されているわけです。
時間には両面存在するというのは古来賢者が指摘してきたことでした。
船が進むと船底に牡蠣殻などがつくように推進力を失うのが法則。
それは人間も同じです。
やりたいことをするというのは、逆にやりたいことではないことを無視することであり、人生の可能性を大幅に狭めることでもあります。
目標ができたときも、目標以外を無視するわけであり、同時に目標に固執しないで目指せる人は皆無に近いでしょう。
目標達成も牡蠣殻をつけることを意味し、それも祓うべき対象にしかすぎません。
ゼロとは陰陽バランス。
どちらにも自由に動けるので最強の精神スタイルというわけです。
客観注意を正しい瞑想で獲得し、常に緩く、でも集中状態でいるのを私は人生の達人だと考えています。
ゼロとは客観注意であり、そしてそのバックボーンの記憶を浄化できている状態だと考えています。