運命は決まっているという人も意外といるのですが、実はかくゆう私も昔はその説を採用していました。
しかしあるときに運命はあまり決まっていないといって良さそうだという見解に立つようになりました。
今回は運命は決まっているのか、決まっていればどこまで決まっているのかということについて説明をしたいと思います。
占いというのは何種類かありますね。
四柱推命、断易、タロット、西洋占星術などですね。
これらの占いで調べると個人の運命というのは結構バシッと出てきます。
過去を当てられてその通りであることを確認していくとやはり運命は決まっているというように思いがちですね。
四柱推命は人生すべてというような長期的スパンの時間の流れを読むものですが、断易などは超短期の出来事を読むものです。
たとえば「明日の商談はどうなるか?」というような対象をかなり限定して調べていきます。
するとまた結果が出てくるんですね。
・明日の商談ではこちらの意思が向こうに通らない
・明日の商談では相手が金額交渉をしてきて値切られる
というようなことなんですが、これも当たるので「えー運命ってここまで細かく決まっているの?」というようになってきます。
ここから私は当時四柱推命による長期、そして断易による短期とも決まっているようだと考えていました。
しかしその後わかったのはこれらの占いというツールには表象という現象を示しているだけということだったんですね。
たとえば四柱推命で日干が木だったとしましょう。
まあ私の流派では日干をメインにしないところもありますが、今日はわかりやすくということで簡単に説明していると理解してください。
・水の時期だと金運アップ
・金の時期だと何かのマイナスが起きる
というような形になりがちです。
金の時期でもその金の性質というのもあってより詳しく災難の質を読むことはできます。
家族関係、仕事、お金、夫婦関係などと出てくるわけですが、重要なことをいいますとこれってあくまでも表象なんですね。
木が金の時間で剋されたというだけなんです。
そしてその金の内容を呼んでも完全に何のマイナスのイベントが起きるのかは教科書で100%わかるわけではないんですね。
ではバシバシ当てる占い師さんもいるわけですが、どう読んでいるのでしょうか?
答えはその人が現場で対面していて鑑定者の意識を何となく読んでお話ししているということが多いわけです。
霊感という人もいますが、簡単にいえば相手から伝わってくる潜在意識などを感知しているだけだと思います。
断易も似たようなもので、つまりは表象といって形があるだけで、細かい内容は決まっていないということが言いたいことなのです。
だいたい細かいどこの店に行くというような運命が決まってくるのは3日後程度の長さといって良いかと思います。
断易などでも一生の財運といいましょうか、収入金額を算出することができます。
しかし財運が妻財子水となっていて、水なので1や6となりますが、それが1億なのか、10億円なのか、100億円なのかというのは正直いってガチガチに決まっているわけではないんですね。
逆に本人次第で本来1億円の可能性が最も高かったはずなのに10億円に到達したというのも意外と簡単だったりします。
断易をはじめて10年ほどしたときに私は気功をはじめました。
気功というのは一瞬でいろいろなものをポジティブに変更するという技ですが、あるときに何か困ったことがあって断易で卦を出したんですね。
その卦はマイナスが多くてダメだこりゃという感じだったのですが、その卦の対象を気功で改善してみたんですね。
するとその後しばらくして同じことを断易で調べてみるともう卦が改善されていることに気付いたんですね。
そのときにそれまで運命は決まっていると思っていたのですが、非常に可変性のあるものだと悟りました。
以後運命は決まっているという考えを捨てたというわけです。
四柱推命では前世のある程度の内容を調べるという方法も実はあります。
相当な数の前世があって、そこでの経験などが集積したものが1人の人間を形成していると思います。
四柱推命で出てくる運命というのはおそらく流れといって良いだろうと思います。
・1回目の大運は何かに集中して結果が出やすい上がり調子
・2回目の大運は何かの目標を失ってウロウロする下がり調子
というように何に集中するのか、何の目標を失うのかということはわからないものの、集中する時期、ウロウロする時期というようなことや、調子が上がるのか下がるのかという傾向や流れだけはある程度あるようだという感じだといって良いかと思います。
昔孔子というすごい方がいましたが、若いころ占い師にたまたま一生を見てもらうことがあったそうです。
「あなたはたくさんの門人に教えていくような人になるだろう」と言われて、そんなわけないだろうと無視したそうです。
その後、何十年もたって気が付くと儒学を完成させて、多くの門人に教えていくことをしていました。
当たっていたために人生は不思議だなと述懐したと聞いたことがありますが、人生すべてを考えたときに大まかな流れといいましょうか、テーマのようなものはあるといっても良いのかもしれませんね。
孔子の場合は教えるということだったのでしょう。
あるいは救うというテーマもあるでしょうし、サポートする、悩みを解く、考えを広める、人の下で上の人を助けるというようなものもあるでしょう。
そのテーマというのは若いころに悟るのは確率的に多くないかもしれませんが、中年期の30代あたりにははっきりと通常してきます。
人生の背骨、中心的な骨格というような感じになりますが、それにこだわってもいいでしょうし、無視しても良いのですが、「これは必要なことだような」と自分で静かに考えていくとそういうものが出てくるので少しの時間真剣に考察すると人生のメインテーマはわかるようになるかと思います。