現代は競争社会です。
まっとうに生きていても知らない間に敵を作るということもあります。
またいろいろな人がいる中で単純に相手に何もしていなくても恨まれるということもあるでしょう。
完全に敵を作らないというのは無理かもしれませんが、敵を少なくても作りにくい生き方というのはありえます。
今回はそんなお話をしたいと思います。
仕事上でどうしても意見の合わない人はいます。
しかしそれを無理して相手に合わせるというのは敵を作らないというのとは違うと思います。
それは良い顔をするということであり、仕事では違う意見が必要なときもあります。
仕事ではそれほど仲良くなる必要もないですし、友達ではありません。
仕事上で敵ができるとやはり厳しい状況になることもあります。
しかし人間はタイプや相性というのもあるので、すべての人とうまくいくということもありません。
どうしても理解しあえないという人もいるのは仕方のないことなので、
・挨拶はしっかりとする
・頼まれたことはできる限りやる
・相手の意見を否定から入らないでしっかりと聞く
・なるべくすべての人に公平に接する
・ミスをしたときにはしっかりと認める
・相手に対してなるべく余計に考えない
というようにしていきましょう。
人間というのは基本的に認証されたい生き物です。
最も敵を作りやすいのはやはり無視ですね。
苦手ということで無視したり、避けると余計に敵になりやすいといえます。
ですので基本的な挨拶をしっかりとしていければ敵を作ってしまう確率は下がると思いますね。
万人に好かれる方法がもし存在していて、もしそれを行ったとしましょう。
たとえば万人に迎合することを行うような形ですが、それでもやはり八方美人だとか、意思のない人間だと批判されることもあるでしょう。
ですので万人に好かれることもできないですし、その必要もないんですね。
どれほどの美人でも万人にモテることがないのと同じですね。
敵を作りたくないというときにはよく胸に手を当てて考えてほしいのですが、何かを恐れているということが多いと思います。
・人から嫌われるのが怖い
・人間関係などで何かのトラウマがある
・会社での立場を心配している
なども考えられます。
ですが、仕事の人間関係というのはたとえば仕事上だけのドライなものでもあります。
また仕事も最近では比較的短期間に変わっていく人もいるので、そこまで深刻に考えるべきでしょうか?
私の場合、仕事での人間関係は良いほうがそれはたしかに望ましいですが、職場だけのことなので帰社した次の瞬間から考えたくないですね。
愚痴なども、今この瞬間に仕事や愚痴の対象の嫌なことももうないのに、記憶を自ら喚起してしまう自分を苦しめる最悪の行為だと考えています。
愚痴はストレス発散という時代かもしれませんが、愚痴で自分のネガティブな思いを再確認するという危険な行為だと思いますね。
とにかく会社を一歩出ればそこは自分の時間のはずなので、何かを考えるのか、どう感じるのかは自分で決める派です。
そして明日も仕事というときも、明日は明日で何かいいことあるんじゃない?というように考えたいですね。
自由な時間に仕事のことを考えるのは非常に人生を損しているように思いますね。
私の場合は理系的なこと、真理以外はそこまでなるべく余計に考えたくないと思っています。
というのも人の思いなどはそもそも答えもないものですし、主観的で事実でもないからです。
ただその人の中で正解だと考えているだけにすぎないものだと思うからです。
人間というのもあらゆる人は60年前にはいなかった人か、あるいは60年後にはいない人だけです。
すべての人は正解かどうか別にして自分の意見を持ち、それに従って生きています。
それは私も同じなので、人の意見は変わらないことが多いです。
ですのでそのようなコントロールできないことをどうにかしようと思うのもあまり意味はないですし、放置したほうが気楽に生きられますね。
宇宙では自分ではどうしようもないものは放置するほうが良いことが多いですね。
私だと気功をするので、敵を作らないということに関してやれるだけといえば
・人間関係を良くするエネルギーを受けていく
・また味方を増やすエネルギーを受けていく
というようにしていき、やるだけやっても敵になる人は仕方がないとスルーしますね。
このようなエネルギーのお渡しはこちらで行っています。
敵を作るというときにどうしても私の場合は運命論から考えてしまいます。
たしかに敵ばかりいて、味方もいないと運が悪くなるかもしれません。
そして敵が少なく、味方が多いほど運が良くなるのもあるでしょう。
しかし敵自身も、敵という意識を持つほどに運を悪くしていきます。
ですのでみなさんは敵、味方というフィルター自体をなるべく意識しないようにしてほしいわけです。
真実に敵というのは存在せず、単にその人も1つの生命体にすぎません。
ただ意見が違う、相性が良くないというだけで、その人の意見を受け入れることができるかはともかく、その人の意見を聞く、話をさせることは認めていきましょう。
ただそれだけで良いのです。
敵だ、嫌いだ、ダメな人だなど人にネガティブなレッテルを貼るほどに、自分の固定観念を固めていっているわけで、次第に行動の範囲を狭くし、できないことが人生で増えていくわけです。
その仕事も定年までするかわからないのに、自分の人生の可能性を狭くするまで考える必要もないと思います。