私も神社にはしばしば参拝をさせていただきます。
といってもほぼご利益を受けようという意識は持たないようになりました。
ただ神社参拝をしていてご利益のある人と、ご利益のない人とに分かれるという感覚のある人は多いのではないでしょうか?
今回は神社参拝で神様のしてくださること、そしてそれを受ける側の参拝者との違いなどからご利益のある人になろうという内容を紹介したいと思います。
神社に行くと
・鳥居をくぐる
・お手水がある
・ご神木がある
・末社がいくつかある
・本殿がある
・社務所でお守りなどが販売されている
というような流れというのがあるかと思います。
これはこれで大事なことですが、今回のメインの話、神社参拝でご利益がある人になるという意味ではそう影響はありません。
ですので今回は割愛させていただきます。
そもそも神道というのはそう細かい作法というもの自体があまり存在しない宗教といって良いんですね。
ですのですべてしたほうが良いとはいえますが、しなくても特段大きなご利益という観点では差は出てこないといって良いかと思います。
では本題に入ります。
神社参拝って見えない領域で何が起きるのかということですね。
当然ですが、神社ですので本殿などには神様がおられますね。
末社などでも同様です。
1つ重要なことはそれぞれの神様には眷属さんという存在がいるということです。
眷属さんというのは神の使者といわれたり、あるいは神様をお守りする存在などといわれます。
動物の姿をしていたりもします。
一見わかりにくいのですが、神社参拝をするときにまずこの眷属さんの入門試験のようなものがあり、その試験に落ちるとご利益がなくなってしまうというようになります。
このようなときは、
・ご利益にまで神様の手は回らない
・そのためその人のオーラのクリーニングをしてくれる
というような感じだと思います。
えーオーラの浄化だけって全然ダメじゃんと思う方もいるかもしれませんが、簡単にいいますとオーラがきれいでないとポジティブな願い事はほぼ叶わないというほどに重要なのですね。
オーラが汚れていると引き寄せるのはまずマイナスの出来事です。
不幸な人生だなんて思う人はまずこのオーラやチャクラをクリーニングすることが多いんですね。
ですのでこのオーラをきれいにしようとせっせと神様は神社参拝をしている間に作業をしてくれます。
敏感な方だと特に本殿の周辺にいるときにオーラがきれいになって、心が軽くなったり、ため息が出たりというような感覚も感じることができるはずです。
つまりもう結論が見えてきたという人もいるかと思いますが、神社参拝しても一向にご利益のない人というのはオーラが汚れているからということなのです。
非常に重要なことをお話しますが、そもそも神様というのはどのような存在でしょうか?
神様というのはすべての人に幸せになってほしいという存在だと思います。
このときに願い事の内容が非常に個人的であり、人に被害を与えるようなものであれば叶えてくれる確率がグッと下がってくるというようになります。
たとえば私もよく頼まれるのが
・復縁をしたい
・好きな人がいてその人を自分に振り向けてほしい
というようなことがありますが、復縁といっても相手がいて、相手はまったく復縁を望んでいないかもしれません。
この場合、まだこっちから復縁を毎日望むというのは一種の呪いであり、生霊を大量に相手に送ることになります。
もし相手があなたとすればどう感じますか?
また好きな相手を自分に強制的に振り向けるというのも同じことで、相手からすれば自分ではない人と付き合っていてそっちのほうが将来的に幸せになるのであればあなたとくっつけるわけにはいきません。
そのため恋愛では理想の相手と出会う、付き合う、結婚するということしか私はやらないですし、神様も同じような感じではないかと思います。
ですのでお願い事をいうにしても、このような意識を持つということはかなり重要だと思っておいていただければと思います。
神社参拝をしてそもそもご利益を得ようというのが私には正しいのかは判断しにくいところもあります。
私はそう考えていないところもあるんですが、神様とただ親しむというような感覚も私にはあって、実は私はおそらく参拝してもかなりの確率でお願い事を言っていないと思います。
ただいつもありがとうございますとだけお伝えするということも多いのです。
もちろんいや私はまだ運命をこれから好転させていくのだという思いのある人はお願い事を言っても良いと思いますが、いずれあえてお願い事を言わない人になりたいというようなことも意識しておいてください。
さて神社参拝で神様にオーラ浄化とともに、ご利益を得る人になるにはどう生活していくと良いのでしょうか?
上で紹介した人に迷惑をかけない意識を持つというのは前提ですし、人に危害を加えない人になるというのも当然なので割愛しますが、真面目な人ほど
・どうでも良いことにこだわらない
・頑張らない
・力まない
ということは意識していてほしいですね。
不幸やマイナスというのは基本的に暗く、ガチガチに固く、そして重いんですね。
ちょうど肩こりのように固くなるのはすべて不幸のはじまりです。
最近は仕事を完璧にこなすことが正解、ミスしないことが正解とされる社会ですが、本当はそんなものでもないんです。
この価値観に染まるので精神疾患、病気が増えてきているというわけですね。
肉体を持つ人間がミスをしないというのは非論理的です。
ミスをしてそこから学ぶのが人間として生きる意味なわけで、自分なりに精一杯やってミスするのはある種仕方のないことであり、それを責めてはいけないと思います。
このような神道でいう罪ケガレのようなものをため込むような誤った考え方は真面目な人ほど陥りやすく、かつオーラが汚れて神様に嫌われてしまのでよく意識して生きていってほしいと思います。